2011年12月4日日曜日

第11話 岩戸の立岩と大力久之丞



              岩戸の立岩と大力久之丞


 貞享《じょうきょう》の時代。元・上の内集落の、岩谷川に架かる橋の東袂《たもと》に、自然石の堂々たる立岩があり、この石碑には、
「貞享二(一六八五)年乙丑《きのとうし》  右寺道
 従是西寺八町女人結界
  二月吉日立之 左なだ道」
と刻んである。所謂《いわゆる》「女人結界《けっかい》(禁制)の道しるべ」であり、「これより西寺領八町内へは女性は入ってはいけないとの意味である」
 この立岩は、岩戸神社の鳥居から約百㍍余り西方の道から、浜への小道の傍らにあった。平成十四年(二00二)に完成した、国道五五号線・元海岸道路工事のために現在の位置に移され、三度目の移転という。碑文の年号、貞享二年から推し計れば三百二十五年ほど前の話になる。今もなお、石碑の周りは一木一草無く清掃され、お墓のように花が添えられ、奈良師の中村家がまっている、と言われる。
 この「岩戸の立岩」に纏《まつわ》る逸話は色々様々に語り継がれている。
 むかし貞享の頃、奈良師に「中村久之丞」という漁師がいた。ある年の秋、岩戸八幡宮の奉納相撲に挑んだ。かかっていってもかかっていっても負けてばかりで、地団駄《じたんだ》踏んで悔しがった。もっと力が欲しい、もっともっと力を、と来る日も来る日も願っていた。
 そのような久之丞の様子を見かねた、隣りのお婆《ばば》が「久之丞や、そんなに力持ちに成りたければ、金剛頂寺・西寺の金剛力士・お仁王様に願《がん》を掛けるが良い。きっと力を授けてくれよう」と教えてくれた。
 久之丞は喜び、早速三七、二十一日間の願を掛け、丑《うし》三《み》つ時《どき》(午前二時から二時半)にお参りを続けた。遂に結願《けちがん》の日を迎え、お寺に登って行くと、山の上から大きな岩が幾つも幾つも落ちてきた。久之丞はその岩を受け止めては側に置き、行く手を塞《ふさ》ぐ岩を片付け片付け、道を開きながら仁王様の前に佇《たたず》んだ。久之丞は仁王様に「今夜は結願の日でございます。どうぞ力をお授け下さい」とお願いをした。すると、仁王様が笑顔でおっしゃった。「力はすでに授けてあるではないか。気が付かぬか」「お前は、岩を片付け、道を開き、ここに来たではないか!」と笑顔を重ねた。それに気付いた、久之丞の喜びは一入《ひとしお》であった。
 久之丞は力を授かった証に、形の良い岩を肩に担ぎ帰ることにした。途中に、黒い牛が道に長々と寝そべっていた。その牛を一跨《ひとまた》ぎにできた。これもご利益の証かと驚きながら、一休《ひとやす》みと、肩の岩をひょいと道端に置いた。暫くの間に身体も安まり、さて帰ろうと、岩を担ごうとしたがびくともしない。
岩をその侭に家に帰り、座敷に上がると根太《ねだ》が折れ、箸を握ると粉々に、手にする物がすべて損なわれる始末。有り余る力に困った久之丞は、再び仁王様に「どうぞ、向う倍力(相手の倍の力)の力に、かえて下さい」とお願いして、直してもらったという。久之丞は娘・「おなか」にも力を分け与えたという。
 久之丞が道端に置いた侭の岩が「岩戸の立岩」と伝えられている。その後、久之丞は大阪の港で北前船の船員と大喧嘩をし、船の帆柱を振り回し相手方数人を海に叩き落とし、勇名を馳せた。後《のち》には、五十集船《いさばせん》(貨物船)の船頭になり、神戸・大阪に行き、五人抜き、十人抜き相撲をたやすく果たし、向うところ敵無く、誰もが久之丞の剛力に目を見はったという。
 また、こんな話もある。
 あるとき、大阪の豪商鴻池《こうのいけ》家に鯨肉を届け、明日は帰ろうと準備をしていた。その矢先に、空は暗がり時化模様《しけもよう》となった。二日ほど足止めを喰らった久之丞は、浜辺をぶらぶらと歩いていた。すると、五、六人の男が、がやがやと何かを掘っている。何を掘っているか見ていたら、大きな錨がちょこんと首を出していた。「そりゃ、どうしているぞ」と久之丞が聞いた。「どうしている!、見たら分かるだろうに。昨日の時化で埋もれた錨を、掘り出しているのだ」「これだけ集《たか》らねば、掘り出せんのか」「これが一人で、引張り出せるか」「ほんなら、おらがやってみようか」「おお、引張り出せたら、お前にやるわ」「よし、約束したぞ」と言うなり、久之丞は手を錨にかけると、いとも簡単に、スポッと引き抜いた。皆が目を丸くしている間に「約束じゃ、もらって行くぞ」といって、軽々と肩に背負い、砂浜を歩きはじめた。所が、妙に錨が揺れ動く、と思ってふり返ると、錨の爪に五人がぶら下がっていた。「どうぞ返してくれ。わしらは掘るのに雇われている。これを取られたら、仕事にならん」と泣きを言った。「そうか、そしたら返してやる。ちょっと、退《ど》いていろ」と五人を遠ざけておき、錨を二、三度振り回して、砂浜に投げ込んだ。元よりよけいに、埋もれてしまった、という。
 久之丞から力を分けてもらった娘、おなかの話。『娘・おなかは、西下町の漁師の女房になったそうな。亭主が沖から濡《ぬれ》れて戻る。おなかは亭主に盥湯《たらいゆ》をさせていたら、夕立がきた。「おい、おなか、雨が降ってきたぞ、夕立ぞ」「まあ、慌てず静かにしてていて下さい」と言ったかと思うと、亭主ごと盥を持ち上げ、どっこい、と家の中に入れたという。 今に、この家の子孫は、みな力持ちだという』
 筆者が子供の頃は、みんな久之丞に肖《あやか》りたく、今風に云えばチッシュを口に含み、唾液と絡ませ紙団子を作り、その紙団子を東寺や西寺の仁王様に投げつけ、くっついたところから力を授かる、と云って良く遊んだが、今その風景は見当たらない。 
                          
                          文 津 室  儿
                          絵 山 本 清衣
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2 件のコメント:

  1. 私は中村久之丞の末裔です。今も実家がお彼岸や盆・暮には「お石」の掃除と「はなえだ」をお供えしてお祀りしています。
    久しぶりで室戸に出掛けることにお石に立ち寄ろうと思い、検索をしましたら、この記事に出会いました。有り難うございます。  中村

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    1. 中村 様

       コメントを有り難うございました。先月来、体調を崩し入院していましたのでお礼が遅くなってしまいました。誠に申し訳ありません。
      さて、この「室戸市の民話伝説」室戸市生涯学習課(0887-22-5142)の厚意により、冊子本のはこびとなりました。今秋には出来上がると存じます。有償無償は未だ決まっていないようです。ご所望される様でしたら、上記にお電話して頂ければ幸いです。コメントを有り難うございました。

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